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【光林山持明院西福寺史】
天正12年(1584)11月、大法師賢幸、権律師に補任される。同年12月、高野山金剛峯寺宝塔院 より山院寺号が与えられ、光林山持明院西福寺が創始された。
しかし、天正12年は創建の年ではなく、当寺が高野山宝塔院の末寺として、光林山持明院西福寺 という山院寺号が与えられた年であり、法師賢幸はその折に住持として寺の復興に力を注いだこと から中興開山の名が伝えられている。したがって、西福寺の寺としての起源は天正12年を遡るわけであるが、当寺が江戸後期に火災に遭ったためか、記録の失われた今となっては知るよしもない。 伽藍配置は本堂を中心に、その中軸線上東側に仁王門があり、北側に庫裡、西側に墓地がある。仁 王門、仁王像は正徳元年(1711)に建立され、享和年中(1801-3)の火災を免れたが、老朽化甚だしく 昭和43年に古い梁材を1本残し他はすべて新材で再建された。


本堂近影


本堂は、文化元年(1804)に建てられたもので、桁行8間、梁間6.5間、寄棟造、銅板葺(もとは茅 葺であったが明治36年に英国製の亜鉛鍍鉄板葺に、さらに昭和35年6月には現在の銅板葺へと 替えられた)。
間取は方丈系6間取で、内陣、大間を中心ににしてその左右に室中、脇間を付け前方に広縁を設け る。現状では南北にそれぞれ内縁をまわし、内陣、両室中の西側に収納部や書斎を増築している。 中央大間の欄間は、寺伝では享和年中の焼失をまぬがれた古い本堂のものと伝えられ、天女や、菊 に流水をあしらった透彫で、枠を漆塗りとし彩色を施している。
昭和53年9月に阿弥陀一尊画像板碑が、有形文化財として世田谷区より指定を受けた。板碑には 菩薩を意味する種子が描かれるが、中には画像で仏、菩薩を表すものがある。これが画像板碑と呼 ばれるもので、数は少なく、区内でも4基の画像板碑が知られるにすぎない。

世田谷区指定の文化財は非公開です。

            現住 第36世 狩野俊裕





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